【失敗体験1】イギリス語学留学で孤独を味わったアラサー男性

反面教師という言葉の示す通り、人の過ちは時として成功例よりもよいお手本になります。きらびやかなイメージのその裏で、海外留学という選択肢は、時に人のキャリアやその後の人生のレールを大きく脱線させます。

今回は、そうした、海外留学によって人生のレールが脱線してしまった事例の一つ、山下さん(留学当時27歳)の体験談を上げていきたいと思います。

留学までの道のり

山下さんは、地元ではそこそこ大きな製造業の総務として、大学卒業後5年近くキャリアを積んできました。

元々、海外で働きたい、という思いのあった山下さんですが、大学時代の英語の成績は惨憺たるもので、海外で働く経験はおろか、留学経験もありませんでした。

それでも、海外旅行が好きな山下さんは、アルバイトして溜めたお金で一人でバックパック旅行を行い、拙い英語でタイやベトナムを2~3週間ほど周遊する、ということを、大学の長期休みのたびに続けていました。

大学を卒業後、商社やメーカーなどで海外営業なども考えましたが、東京での就活が思うようにいかず、最終的には地元の安定した企業への就職を決め、Uターン就職を果たします。

その時は、山下さんも、地元であれば、親元で暮らしながら通えるので、貯金もでき、その金を使って英語の勉強を続け、ゆくゆくは海外で仕事がしたい、と、まだほのかな夢を持ち続けていました。

社会人生活と海外へのあこがれ

2009年4月、山下さんのサラリーマン生活は幕を開けます。

最初のころこそ、英語の自習を考えていた山下さんですが、蓋を開けてみると、社会人の生活と英語の勉強を両立することは楽ではありません。平日は夜の21時ごろまで残業があり、時には休日出社も行われます。地元の企業のため、青年会の付き合いなども多く、飲み会に顔を出さなくてはいけない機会が増えました。

たまの休日には、どっと疲れてしまい、一日中ベッドの上で寝転がって過ごす、という日が続き、社会人になる前に心がけた「英語を勉強し、海外で活躍する」という目標に全く身が入らないようになります。

通勤も移動もすべて車ですので、都会のように「電車での通勤時間を利用して英語の勉強」といった手段も取れず、社会人になり、英語力は向上したどころか、むしろ衰えていく一方でした。

そんな中でも、山下さんは当初の夢を忘れたわけではなく、休日や勤務後の時間を使い、海外生活や留学体験談を読み漁り、情報収集をします。

「TOEIC300点の私が一か月で900点にした方法」
「3か月英語圏に滞在すれば英語耳が作れる」

こうした体験談を読むにつれ、当初は日本で英語の勉強をしてから海外に行こうと思っていた山下さんも、次第に、海外で生活してしまえば、英語がペラペラになれるような気がしてきます。

「自分の英語が話せないのは、日本にいるからじゃないのか」
「思い切って海外で半年くらい働けば、英語がペラペラになって、大手に転職できるかもしれない」

という希望を山下さんは抱き始めます。

両親とも相談の場を設け、今の仕事をずっと続ける気はない、将来的には自分のスキルを活かした仕事がしたい、と説得し、ついに山下さんは27歳にして、会社に退職届を出し、今までの貯金をもとに、イギリスで半年間の語学留学をすることにします。

退職届を提出する前日、山下さんは、名状しがたい高揚感と、ささやかな不安を覚えました。

いざ留学へ!

退職前から、すでに山下さんはイギリスの留学先を選定していました。元々、山下さんはイギリスはおろか、タイより先の外国に渡航した経験もありません。休日はむしろインドアな生活を好むほうで、周りからは割と物静かなタイプと思われていました。

そうした山下さんを知る地元の友人や親せき、元同僚に、イギリスに留学することを告げると、冒険心がある、たくましい、などと口々に驚かれ、山下さんもまんざらでもない気分です。

さて、そんな山下さんがイギリスで選定した都市は、ロンドンから2時間ほど離れた、カンタベリーという小さな街です。あまり日本人観光客が多すぎず、かといって不便というほどでもない、ちょうどよい手ごろな都市を選択したつもりでした。

語学学校に払った費用は半年の留学、往復の航空機代、海外旅行保険料など、もろもろ合わせ120万円以上。もう後には引けません。

ただし、ホームステイ代金も、食費も含まれているということで、それ以上の出費はないとの皮算用で、これ以上の余分な資金を山下さんは持ち合わせませんでした。

2014年5月、すでに三寒四温も過ぎ去り、すっかり暑さを感じられるような気候になっているころ、山下さんはイギリス、カンタベリーの語学学校に到着します。ここから、山下さんの華やかな留学生活が幕をあけるはずでした。

ここはアジアか!運命を分けたクラス分け

到着日当日、期待に胸を膨らませる山下さんを待っていたのは、クラス分けの英語試験です。

山下さんは、会社を退職後、3か月ほどかけて英語の文法基礎などを勉強してきたため、中級レベルのクラスに割り振られることを期待していました。

ところが、期待に反し、実際に割り振られたのはA2のクラスです。文法的な部分は割と理解できたものの、イギリス英語の発音になれなかったのでTutorの言うことがよくわからなかったのと、英語を話すことに慣れていなかったことが原因です。

さて、語学学校というのは様々な人種や年齢層が集まるのですが、大体、クラスのレベルによって集まる層というのは決まっています。A1やA2のような初心者のレベルに集まるのは、夏休みを利用して半ば遊びに来たようなスペイン人、フランス人や、ちょっと小金持ちの韓国、中国、あとはワーホリの日本人たちです。

山下さんのクラスは7人規模でしたが、そのうち5人がアジア人で、クラスでは中国人同士が固まって話をしている、という状況でした。

こんな、ヨーロッパにいるんだかアジアにいるんだかわからないような環境の中、山下さんの半年の語学留学生活が始まりました。

期待に反した語学留学と孤独

イギリスに来る前、山下さんは多かれ少なかれ、日本人である自分の特別扱いを期待していました。アニメ好きのイギリス人などが向こうから「友達になってよ!」と山下さんのところによって来るかと思っていました。

ところが、実際にはそんなことはなく、ホームステイ先と語学学校の往復を行う生活が始まります。

授業の合間には、カフェなどを買いに行く休憩タイムがあるのですが、中国人同士のグループと、アジア人以外のグループとでかたまってしまい、山下さんは休憩時間を誰とも会話せず、携帯をいじって暇つぶししました。

授業が終わると、特に他の留学グループに属するわけでもないので、バス代を浮かせるために徒歩30分かけ、とぼとぼとホームステイ先に帰宅します。

ホームステイ先の家族は4人家族で、一応毎日の夕食が提供されましたが、4人の家族がぺちゃくちゃと英語で流暢に会話をする合間に割って入ることができず、一人で急いで夕食を食べ終え、すぐに部屋に戻るような恰好でした。

留学2週間目にして、山下さんはすでに留学に来たことを後悔するようになりました。平日は朝の9時から午後の15時まで授業があり、まだ耐えられますが、帰宅後、そして休日などは、特に予定も友人もなく、ぼーっと暇を持て余します。

ロンドンのような大きな都市にいけば、もっと違った楽しみがあったのかもしれませんが、山下さんが選んだのは、日本人コミュニティのない中規模都市、無為に時間を潰さざるを得ない日々が続きます。

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全く上がらない英語へのモチベーション

一応、授業にはまじめに出て、日々の復習もおこなっていたため、山下さんの英語のレベルは少しずつ向上している気がしました。

滞在から2ヵ月が過ぎたころ、山下さんは英語のB1レベルのクラスに進級します。TOEICで言えば500点前後のレベルがあるということで、山下さんの中では進歩を感じていました。

英語の勉強とは裏腹に、山下さんの私生活は楽しいものではありません。すでに、2ヵ月も滞在していると、語学学校の中でもそれぞれのグループができてしまい、内気な山下さんにとって、今更入っていくのも難しい状況でした。

山下さんと同時期に似たようなレベルで入学した日本人の女性がいましたが、彼女は早々にイギリス人の彼氏を見つけたため、私生活でも英語を話す機会が増え、いつの間にか山下さんのレベルを抜き去っていきました。

山下さんも、現地の友達、あわよくば白人の彼女を見つけようと、マッチングアプリなどを物色しますが、課金し、いろんな女性に連絡を取りまくっても、全く振るいません。

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留学の終わりと日本への帰国

3ヵ月が過ぎたころ、もはや山下さんの目下の関心は、早く日本に帰りたい、というだけでした。惰性で語学学校に行きますが、当初のように帰宅後に復習をするような熱意はとうに消え失せ、家と語学学校を往復し、夜はパソコンのゲームに興じるようになります。

山下さんの日本にいたころの貯金は、すでにすべて語学学校に支払ってしまったため、途中で切り上げて日本に帰国することはできません。修行僧のように黙々と、楽しそうな若者に交じって語学学校のクラスに出席し、帰宅をする生活を続けます。

半年の、まるで懲役のような期間を乗り越え、ようやく山下さんは日本に帰国します。

結局、留学の後半ではほとんど勉強に身が入らなかったため、思ったほどの英語の伸びはなく、留学前に400点前後だったTOEICの点数は、600点ちょいまで上がった程度で、とてもではありませんが、英語を武器に海外で活躍できるような会社に転職できるようなスペックではありませんでした。

帰国時、山下さんはすでに28歳、スキルもなく、前の会社を辞めてしまっているため、転職活動は難航しました。帰国し、3ヵ月ほどして、ようやく地元の接客業に再就職を果たしますが、臨んだような給与アップもスキルアップも望めず、それどころか、前いた職場よりも給与が下がってしまう有様でした。

そんな、留学によるキャリアアップならぬキャリアダウンを経験した山下さんですが、もう海外で生活するという夢に区切りがついたため、満足しているとのことです。