ドイツ近世史・近代史の名将ベスト20

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ドイツの国境が今のものに近くなる、近世以降に照準を当てて考えると、やはりその地域の勢力図を一変させた、帝国を出現させた、というチンギスハンやティムールクラスの帝王はドイツには出現しない。どうしても国力、外交面で不利ながらもよく頑張って大国(スウェーデン、ポーランド、オーストリア、連合軍等)を退けたね、という印象の軍人が多い。

というわけで、ドイツ近世史に名を連ねる名将・名軍人たちを20人リストアップしました。順位付けは難しいので、あくまで上位20人、ということで。

17世紀(30年戦争、スコーネ戦争)

30年戦争時代のドイツは神聖ローマ帝国。ナポレオン時代以降に発生するナショナリズムの萌芽もまだなく、軍人たちはあっちこっちに主を変え、どちらかというと傭兵として立ち回っている感じが強い。

ヴァレンシュタイン

30年戦争における皇帝軍の大黒柱で、北欧史最強の名を冠されるスウェーデンのグスタフ2世アドルフと互角に渡り合ったことで知られる、ボヘミア最強の傭兵隊長。グスタフ=アドルフの軍制改革で鬼と化したスウェーデン軍は破竹の勢いでドイツを破壊しまくりますが(ドイツ人の人口の20%が30年戦争で死亡)、この悪魔のような進軍を食い止めたのがヴァレンシュタインで、リュッツェンの戦いではグスタフ=アドルフを打ち取る大金星をあげた。

結局、グスタフ=アドルフを失ったプロテスタント軍はこの後精彩を欠き、30年戦争は一時カトリック軍優勢に傾くが、権力を持ちすぎたヴァレンシュタインが暗殺されてしまったことにより、再びカトリック軍は敗北を繰り返し、そこから10年近く泥沼の戦争を続ける。

【功績】鬼人グスタフ=アドルフを迎撃した

ゲオルク・デアフリンガー

30年戦争の際にはスウェーデン側として戦い、スコーネ戦争ではブランデンブルグ=プロイセンを率いて今度はスウェーデン軍を撃破、後述するブランデンブルク選帝侯とともに19世紀以降欧州の覇権を握るプロイセン軍の原型を形作った名将。

何がすごいかって、当時のブランデンブルグは30年戦争の影響で国土が荒廃し、軍備どころか国民の生活もままならない超絶弱小国家で、それが当時ヨーロッパ最強のスウェーデン軍を、しかも寡兵で破ったことは、大国スウェーデンが弱体化する決定打となった(創設当時の楽天の4番打者として、ソフトバンクホークスを破るようなイメージ)。

【功績】弱小ブランデンブルグを率いて大国スウェーデンを倒した

フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯)

デアフリンガーが弱小ブランデンブルク軍の主力打者だとしたら、フリードリヒ・ヴィルヘルムは監督。当時の分断国家だったプロイセンを巧みな外交術で成長させ、のちのドイツ統一の礎を作る。そこそこ負けはしているのだが、ここ一番の戦には強い。特筆すべきはワルシャワの戦いで、4倍近い当時の列強ポーランド軍を粉砕した(創設当時の楽天が日本シリーズで巨人を破るような)。

続いてスウェーデン・ブランデンブルク戦争でも強豪スウェーデンを粉砕し、ヨーロッパ全土にプロイセンの名を轟かせることとなる。

【功績】弱小ブランデンブルグを率いて強国ポーランドとスウェーデンを倒した

マクシミリアン2世エマヌエル (バイエルン選帝侯)

30年戦争とヴェストファーレン条約によって神聖ローマ帝国は弱小地方政権に分断され、しばらく暗黒時代を迎えますが、その中でも気を吐いたのがバイエルン選帝侯(現在のミュンヘン地域)マクシミリアン2世。第二次ウィーン包囲戦、大トルコ戦争、大同盟戦争、スペイン継承戦争と17世紀後半~18世紀の名だたる戦争に参加しコンスタントに戦果をあげている、この時代を代表する南ドイツの軍人。

もっとも、同盟軍側にオーストリアの名将プリンツオイゲンや、ポーランドの英雄ヤン3世などがおり、数的にも基本的には優勢な戦いが多く、あくまで優秀な一方面軍団長という評価枠を超えることは難しいでしょう。

【功績】無難に勝ち星を積み上げた

18世紀(スペイン継承戦争、大北方戦争、オーストリア継承戦争、7年戦争)

この時期のドイツはヴェストファーレン条約で分断された地方領主の集まりと化し、まさに弱小集団。そんな中強国スウェーデンやオーストリアを相手に勝利すると、当然名将ポイントも高くなる。弱小ヤクルトを率いて何度も優勝に導いた野村監督の評価が高いのと同様。

シュトイベン男爵

アメリカにわたり、アメリカの軍制改革に寄与したプロイセン軍人。アメリカ独立戦争ではジョージワシントンとともに弱小アメリカを率いて勝利に貢献。幕裏の参謀としてだけではなく、しっかりと前線指揮もこなし、合衆国の勝利を決定づけたヨークタウンの戦いでも指揮権の一角を担っている。現在に至るアメリカ軍の礎となったという点が高く評価。

【功績】アメリカ独立戦争の勝利に貢献

レオポルト1世 (アンハルト=デッサウ侯)

プロイセンの老軍人。後述するフリードリヒ大王の手本になったとも言われている人物で、プロイセンの軍制改革をおこなったことで名高い。要するに、フリードリヒ大王もレオパルとの育てたプロイセン軍の恩恵に預かったといえよう。

ケッセルスドルフの戦いでは70歳近く老齢をおして指揮官をつとめ、見事にオーストリア軍を破っている。野戦能力も高いスーパー老人。

【功績】弱小プロイセンの軍隊を鍛え上げ、オーストリア軍を破った

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世

後述のフリードリヒ大王のパパ。自ら指揮を執って野戦で勝利、という回数は少ないが、弱小プロイセンの軍制改革を行い、強国の礎を作ったことと強国スウェーデン相手に大北方戦争で(モブ参加とはいえ)勝利したことは優秀。

【功績】大北方戦争でスウェーデン相手に勝利

フリードリヒ2世(大王)

ドイツ軍事史上最強と名高いプロイセン王。啓蒙主義を唱え名君として国民から絶大な人気を博していたが、戦争もとにかく強い。オーストリア継承戦争と7年戦争で、当時の大国であったオーストリアを相手に勝利し、見事に領土を獲得している。

特にフリードリヒ大王の名声を高めたのが、7年戦争のロスバッハとロイテンの戦いで、いずれも2倍近いオーストリア軍を会戦で破るという離れ業を成し遂げている(このときのフリードリヒ大王の戦法をナポレオンもお手本にしたと言われる)。2倍近い敵を2回も破ると名将ポイントは爆上げ。

【功績】弱小プロイセンを率いてオーストリア軍を撃破しまくった

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ

上述のフリードリヒ大王の側近、プロイセン最強の矛で知られる騎兵隊長。名将というよりは勇将で、友軍の危機を救うために死地に飛び込み、何度もケガを負っている。負けることは負けるし、軍事史上に名をとどろかせるほどの戦略眼を持ち合わせていたわけではないが、彼がいなければフリードリヒ大王の成功もなかってであろうということでランクイン。

ナポレオン戦争

ナポレオン戦争時代のドイツ軍(プロイセン軍)はとにかく負けが込んでいるので、あまり良い評価がしづらい。ナポレオンが強すぎたからしょうがない部分もあるが、ロシアやイギリスに比べると少しパッとしない。寡兵で大軍を破る目覚ましい活躍をした将軍が、この時代のドイツには見当たらず、ナポレオンという天才をファールで粘って粘ってマウンドから引きずり下ろした印象。

ブリュッヘル

名将と言うには負け続けているが、とにかくあのナポレオンにワーテルローの戦いでとどめを刺したということで評価が高いブリュッヘル。そのワーテルローも、ナポレオン軍よりも多い人数で戦い、どうにかこうにか倒したわけなので、軍人としての戦術力はこの時代の他の軍人、アーサーウェルズリーやネイやスヴォーロフやグナイゼナウよりも低かったであろうが、なにせ根性がある。

それにしても、世界史最強候補の一人、ナポレオンを破ったという功績がでかすぎるので一応ランクイン。

【功績】最強軍人ナポレオンにとどめを刺した

クラウゼヴィッツ

「戦争論」の著者。野戦指揮官としての功績は大したことないが、戦争論の功績と後世に与えた影響が大きすぎるのでランクイン。モルトケ等に読まれ、後世のドイツ軍の原型を形作った。

【功績】戦争論を書いた

普仏戦争・普墺戦争

名将の条件に「少ない兵力で敵を破った」「国土を拡張した」が挙げられるのであれば、まさしくこのドイツ統一の時代はキラ星のごとくプロイセンに名将が現れた時期であった。もっとも、時代の流れとともに一軍人の指揮力ではなく国家としての統制力、政治力、軍事力がものをいう時代でもあるため、おのずと一人の名将をピックアップすることは難しい。

ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ・モルトケ

ドイツどころか世界の軍事史をみても名将ランキング上位の常連。モルトケの何が高く評価されているのかというと、鉄道と無線という新たな技術の可能性にいち早く目を付け、兵法の常道とされた分散進撃・一斉攻撃の理論を現代風に焼き直した点か。

この画期的な軍制理論がぴたりとあたったことで、新生プロイセンはデンマーク、オーストリア、フランスと、(デンマークはともかく)当時の格上に3連勝を遂げたことは高く評価される。1つでも戦役を勝利に導けば名将だが、3つも、しかも国の将来を占う重要な戦争でしっかりと功績を挙げた。革新的な技術を取りいれ、画期的な軍制に結び付け、新生国でありながら重要な戦争で大勝し、軍事上の汚点が特にない、と文句のつけようのない名将。

【功績】新生プロイセンを強国にしたてあげ、3つの戦争に打ち勝った

フリードリヒ・カール・フォン・プロイセン

モルトケ同様、3つの戦役に従軍しプロイセンを強国に導いた立役者。その中でもフリードリヒ・カール親王が抜きんでた活躍をしたのが普墺戦争におけるケーニヒグレーツの戦いで、結果だけ見るとプロイセン軍の圧勝に終わったこの戦いも、実際にはフリードリヒ・カール親王が2倍近いオーストリア軍を足止めしつづけたおかげで、色々とプロイセン側も危ない局面もあった。

ちなみに普仏戦争でも戦争の趨勢を決定づけるメスの戦いの指揮を行い、1.5倍近いフランス軍を相手に華麗な勝利を収めている。

【功績】2つの戦役の2つの重要な戦いで、数で上回る敵軍相手に勝利を収めた

第一次世界大戦

最終的に第一次世界大戦でドイツは負けているので、なんだかんだ判官びいき的なランキングにはなる。戦略的失策を戦術的なごり押しで挽回した印象。

パウル・フォン・ヒンデンブルク

名将であったかというと評価の難しい、タンネンベルクの英雄ヒンデンブルグ。炎上した気球ヒンデンブルグ号の名前にも使われ、何かと有名人。

評価の何が難しいのかというと、まずタンネンベルクの戦いで3倍近いロシア軍を相手に軍事史上に残るレベルのキレイな各個撃破を決め、小モルトケのせいで敗色濃厚だった東部戦線を一気に立て直したこと。一方で、そもそもお飾りの大将だったと言われ、実際的な指揮はルーデンドルフとホフマンがおこなったということ。

日本海海戦の東郷平八郎だって一人でバルチック艦隊を破ったわけではないのだから、軍を束ねたヒンデンブルグが評価されても良いだろう、ということで、海外の歴史版などではなんだかんだ評価が高い。

【功績】3倍近いロシア軍を分断撃破し、敗色超濃厚だった東部戦線を立て直した

エーリヒ・ルーデンドルフ

20世紀初頭のドイツ帝国にあって最強の軍人といったら恐らくルーデンドルフ。オーストリアというお荷物を抱えながら、東部戦線ではロシア帝国軍を相手に有利な戦いを進め、ロシア革命にかこつけて広大なロシア領を手に入れた(この時点で大戦が終わっていればルーデンドルフは世界史に名を残す名将で終わっていたかも)。

その後、西部戦線で攻勢に出てフランスを壊滅寸前まで追い詰めるが、アメリカの援軍がヨーロッパに到着すると物量に押され、じわじわと敗戦に。無制限潜水艦作戦をおこなってアメリカに参戦の糸口を与えてしまったり、政治的にはマズい部分もあったが、四方八方敵に囲まれながらドイツ軍を勝利の一歩手前まで導いた野戦能力はかなり高く評価されてよい。

【功績】四面楚歌のドイツ帝国で、4年間協商国軍相手に暴れまわった

パウル・フォルベック

騎士道を重んじるプロシア軍人には珍しいタイプの軍人で、遠いアフリカの地でイギリス軍を相手にちまちまとゲリラ戦を展開し、5年間もイギリス軍をアフリカに釘付けにした、敵に回すと一番厄介な楠木正成タイプ。

本国からの補給もままならず、イギリス軍をヒット&アウェイで混乱させ続け、無駄な出血と補給を強いさせた功績は連合軍側からも高く評価されており、個人的にはロンメルよりもフォルベックのほうが優秀かと。

【功績】圧倒的な物量を持つイギリス軍を相手に5年間粘って体力消耗させた

第二次世界大戦

ご存じの通りドイツは負けているので、第一次大戦同様、敗色濃厚な中でいかにうまく立ち回り、連合軍に出血を強いたか、が名将ポイントの鍵となる。賛否両論のロンメルはここでは除外。

マンシュタイン

WW2でドイツ最強の軍人はというと筆頭候補にあがるのがマンシュタイン。大戦前半ではフランスを瞬殺し、後半ではスターリングラード以降勢いづいたソ連軍を相手に何度も、バックハンドブロウという新戦術によって勝利しているのも評価ポイントが高い。

多勢に無勢、最後は4方から押し寄せる連合軍によってナチスドイツは崩壊したが、生まれる時代と国が違ったらもっと活躍できていたかも。

【功績】フランスを瞬殺し、超大国ソ連を翻弄

エバーハルト・フォン・マッケンゼン

人道的にはマズいこともたくさんやっているが、敗色濃厚で物資も絶え絶えな1944年以降もイタリア戦線を堅守したのは間違いなくマッケンゼンによるもの。騎兵に固執したりと、決して大局観があったわけではないが、局地戦で見たらナチスドイツの中で最も優秀な軍人の一人。

【功績】敗色濃厚の中、イタリアを死守

デーニッツ

群狼作戦の生みの親。陸のロンメル、海のデーニッツと、目立たないながらも黙々とイギリスを相手に通商破壊工作を続けた。結局日本軍は派手な戦果にこだわり、ちまちまと輸送船を破壊する方向に潜水艦を使用しなかったが、イギリスを干上がらせたという意味でデーニッツは日本海軍よりも功績が上かも知れない。花形ではない、予算も限られたドイツ海軍を率いて連合軍を最後まで苦しめたのは評価ポイントが高い。

【功績】限定されたドイツ海軍を率いて連合軍を終戦まで苦しめた

グデーリアン

ご存じ、機甲戦術の生みの親で知られる。最終的に負けはしたが、1943年ごろまでイギリスを除くヨーロッパのほぼすべてを掌握したのはグデーリアンの機甲戦術あってこそ。戦史になお残す概念の考案者として、戦史上で根強い人気を誇る(同じ意味で、負けはしたが空空兵力を艦隊決戦に持ち込んだ山本五十六も指揮官としての評価は高い)。

【功績】ヨーロッパを席巻したナチスドイツの機甲師団の生みの親