【失敗談】現実を何も知らず北欧に憧れてノルウェーにワーホリに行った25歳高卒男子の末路

多くの人が夢見る海外留学と移住。しかしそこには楽しさもあれば苦労もあり、はやる気持ちを抑えきれず無鉄砲に試してみて成功する人もいれば失敗する人も出てきます。

今回は北欧に憧れてノルウェーに突撃した吉田くんの顛末をお伝えします。

ワーホリからノルウェー留学の就職を夢見た青年

日本で商業科の高校に行った吉田くんは高校卒業後、東京の中小企業で経理として働いていました。

商業科で仕事に繋がるスキルを身につけたと言えば聞こえは悪く無いですが、実は商業科の高校なんて勉強したく無い人が集まる偏差値が50も無い学校でした。

そんな将来のビジョンも無く4年ほど経ったとき、高卒で出世の可能性も無く、やりがいのない繰り返しの仕事に吉田くんは完全に飽きてしまいました。

労働意欲が下がったとき、テレビで北欧の特集を見て綺麗な女性に5時には仕事も終わり家族とのんびり過ごす姿を見て興味を持ち始めました。

北欧を夢見て

海外なんて昔家族でハワイとグアムに行ったことがあるだけな吉田くん。英語はまったく話せなかったので英会話学校とスカイプで安い英会話コースを申し込み少しづつ勉強し始めました。

そんなおりノルウェーではワーキングホリデーが始まると知り、これを天啓と受けた吉田くんはこれでノルウェーに行こうと具体的に考え始めます。

ノルウェーでは英語が通じるらしいので向こうに住めば自然と語学も身につくと考え、彼はワーホリを使ってノルウェーに1年行き、その後大学に留学してヨーロッパで就職しようと行動したのです。

初めてやる手続きに苦戦しつつも、美男美女なノルウェー人たちとの新しい生活を思えばなんのその。会社を辞め、友達には金髪な彼女をゲットすると大口を叩き盛大なお別れ会をして出発に備えます。

ちなみに吉田くんの英語力ですが、本人曰く英語で日常会話ができたといっていましたが、出発前に自分の英語力を測ろうとTOEFLの試験を受けたら31点だったそうです。

ノルウェーでの新生活

ビザの申請や最初の1ヶ月住む場所の確保など分からないことに苦労してノルウェーに結局やってきたのは9月になってからでした。

着いた当初、初めてのヨーロッパはとにかく心が踊りました。

都市中心部には移民系が多かったり、スーパーでみる表記には英語もあまり無かったり、そこかしこに背の高い美男美女がベンチで話していたりと見るものすべてが新鮮。到着してすぐに吉田くんはノルウェーに来て価値観が変わったと言っていたのを今でも覚えています。

吉田くんはインターネットでSub Japanという日本人とノルウェー人のグループを見つけ、ここで友達を作り情報を集めて毎日英語を使って仕事を探し始めました。

仕事探しの準備で手間取り始める

ここから吉田くんはノルウェーで住むことの大変さを感じ始めます。

日本いるときにインターネットでワーホリについて調べていたらオーストラリアで貯金を100万円ぐらい貯めたとか、畑でピッキングの仕事が簡単に手に入るという情報を見ていたのです。

その情報を見てノルウェーは人が少ない分簡単にピッキングの仕事ができるだろうと決めつけてしまいました。

しかし来てみたらピッキングの仕事はノルウェーでは全然無く、他の日本人に聞いても知らないと言われるだけでした。

落ち込んでいる場合ではないと思い、インターネットでCVのテンプレートを見つけて見よう見まねで自分のCVを作成して仕事を探し始めました。

しかし吉田くんは高卒で経理のことしかわかりません。経理といっても日本語のみ、ノルウェー語やましてや英語ですら経理のことはわからずノルウェーで経理ができるか不安が募ります。

そして辛かったのがカバーレターです。吉田くんはカバーレターという存在すら知らず、日常会話程度のレベルでは自分一人で満足に作ることもできませんでした。

そこでノルウェーで知り合った日本人とノルウェー人に頭を下げてとりあえず体裁の整ったものを作りました。

ここから吉田くんはこれからの生活がどうなるか不安になってきます。

そして仕事を探し始める

インターネットで仕事を探すも高卒で経理以外まともな経験がない吉田くんは応募要件に満たしているものがないということに気づきました。

インターネットにある応募要件は「ノルウェー語と英語が話せる人」「英語+他のヨーロッパ言語」「カスタマーサポートの経験が2年以上」というものばかり。

そもそも仕事の募集自体もあまり多くなく、あってもすべてノルウェー語で書かれており吉田くんに当てはまるものはほとんどなかったのです。

募集要項を見ているとまるで自分はノルウェーから歓迎されていないんじゃないかと感じて一人で落ち込み始めます。

そこで日本人のアドバイスに従って、レストランやホテルに行って直接CVを配ることを始めます。

時期は冬

ノルウェーに9月には来たものの手続きだったり情報収集だったり住居探しに最初の2ヶ月を使い、仕事を探し始めたのは11月になっていました。

緯度の高いノルウェーでは既に暗くなるのが早く、天気も曇りの日が増えて街は暗い雰囲気を帯びていました。

吉田くんにとって初めて足を使ってのCV配りはかなり辛かったと言っていました。まるで飛び込み営業をしているようだとボソボソ語ってました。外食レストランや寿司屋、アジア人が経営してるお店やホテルなど周ってみたのですが店員や受付からは対して興味もなさそうに話されるのが心にきたそうです。

店員に「Is there a manager here? I am looking for a job now」と言うと向こうは客じゃないと分かりしかめっ面で「My boss is not here now.」と色々なお店で言われます。

どんなにやっても慣れないと吉田くんは言っていましたが、とにかく自分のCVを配って行きましたが、吉田くんの足取りは重く、1日に10件も配る元気は無かったそうです。

来ない返事

仕事を探して1ヶ月経っても何もいい返事はもらえませんでした。

たまに来るメールは「残念ながら他の人を採用しました」だったり、果てはノルウェー語で不採用の連絡が来るだけです。

吉田くんは来る前は畑で働いたり、気が向いたらレストランで9時5時でウェイターをしてアフターファイブをノルウェー人と飲みに言ったり美人なノルウェー人と遊びに行ったりを夢見ていました。

しかし現実にはただただ毎日起きてインターネットで少し仕事を探して、その後はCVを配りに街の中心部をウロウロするだけです。

最初は友達を作ろうとインターネットで外国人のグループに参加していたり日本人やノルウェー人と遊びに行こうと積極的に出かけていましたが、新しい人に会うたびに聞かれる「What do you do in Norway?」の質問に苦笑いで「I am looking for job」という会話にプレッシャーを感じてきます。

大学に交換留学できている日本人はみんな21歳ぐらいで歳は近かったですが、彼らの「ノルウェーで何されているんですか?」の質問にも嫌気がさし始めます。

彼らはみんな近くの大学寮に住んでいるらしく、会話の中で「この前の日本食パーティーさー」などが聞こえるたびに一人疎外感を受けました。

Facebookで彼らと友達になると、彼らは毎日日本語を勉強しているノルウェー人と遊んでいるようで、自分の部屋で彼らがパーティーをしている写真にいいねをつけているだけでした。

交換留学生の集まりに呼ばれない吉田くんは日本人からも受け入れられてないと感じていました。

そして吉田くんが落ち込んでいる間に季節はクリスマスになってきます。

一縷の希望

仕事が見つからない恥ずかしさと劣等感から日本人や外国人、ノルウェー人がいるような集まりにも顔を出さなくってきました。

ノルウェーではクリスマスを家族と過ごすそうで、みんな忙しそうにクリスマスプレゼントを買っているのを吉田くんはCVを片手に握りしめて街で寂しく眺めているだけです。

「なんでクリスマスでお店は忙しそうなのに自分は面接すら受けさせてくれないんだ。」と言っていたのをよく覚えています。

そんなある日、オスロ空港の寿司屋からアルバイトの面接をしないかという電話が吉田くんに舞い降りてきます。

吉田くんは喜び面接用にシャツを買ってオスロ空港に面接を受けに行きました。

しかしそんな希望もすぐに打ち砕かれるのでした。

マネージャーが「うちは長く働ける人を探しているんだけど君はどれぐらいノルウェーにいるつもり?」と聞かれました。

吉田くんは「今ワーホリで来てて、このビザでは同一雇用主の下で6ヶ月間働けます!」と返事をするとマネージャーの顔が曇り「それじゃあ短すぎる。寿司屋で働いた経験はあるの?」と返されました。

吉田くんは正直に「無いですけどこれから全力で学びます!」と答えたものの、その後言われたのは「じゃあ無理だね。」の一言だけでした。彼のノルウェーでの初面接は5分もかからなかったそうです。

越冬すらできぬまま終わる海外デビュー

吉田くんはこの結果にかなり落ち込みました。
その後仕事を探したのか探してないのか分かりませんが、2月に吉田くんは誰にも見送られることなく日本に帰って行きました。

吉田くんは結局半年ぐらいで150万ぐらい使い、ノルウェー人の彼女はできず、ノルウェー人とも全然友達になれず、得たものといえばfacebookでノルウェー在住の日本人と日本人留学生、そして繋がったけど全く連絡を取らないノルウェー人が少しだけです。

日本に帰る時も日本にいる友達には豪語した手前恥ずかしさでいっぱい。地元の友達に帰ったと連絡したのは数ヶ月後だったそうです。それまではただただ落ち込んで実家で引きこもっていたそうです。

今もまだ吉田くんのfacebookにはヨーロッパで留学したという情報は載っていません。