私はいくつかここのブログでチェコのワーキングホリデー(以下ワーホリ)に繋がりそうな情報を発信しています。
それは私も昔ワーキングホリデーでアイルランドに行ったことがあるからです。
私は2008年にアイルランドに行きましたが、当時は2007年に日本アイルランド間で新しくワーホリが始まったばかりであまり情報が無くたくさん苦労した経験があるからです。
なのでワーホリを考えている人に、特にチェコを考えている人には少しでも参考になればと思い自分の分かる範囲でヨーロッパにワーホリを通して住むということがどんな感じなのか少しでも準備になればと思って書いています。
さて、ここで自分がアイルランドに行った経験を少しお話ししていきます。
アイルランドでのワーホリ
そもそもなぜアイルランドに行ったかと言うと、ヨーロッパで一年間働いて貯金しつつ英語の勉強をして、一年後にヨーロッパの大学とか行けたらいいなーとか深く考えてるんだか考えてないんだかな希望的観測を胸に抱いていました。
当時オーストラリアにワーホリに行った友達がいて、その人は「井上くん、オーストラリアでワーホリに行けば貯金できるよ!」と教えてくれました。
今考えると相当頭悪いなと思いますが、「そうか、オーストラリアで貯金できるって言うことは他の先進国でも貯金できるんだ!」とズレた発想をしていました。
私はヨーロッパに興味があったので、こっちにこだわった結果イギリスは抽選で落ちたので代わりにアイルランドに行くことにしました。
当時はまだ20代前半で正直世界のことはよくわかっておらず、今考えると無茶だったと反省します。
ちなみに当時の貯金は約100万円ほどでした。
あと、アイルランド出発前に受けたTOEFLのIBTのスコアを貰いましたが、結果は23点でめっちゃ凹みました。
最初は首都ダブリンにある語学学校へ
アイルランドに行こうと思ったものは良いものの、実際家探しや仕事探しなど右も左も分かりませんでした。
さらに言うと一人暮らしの経験をしたことがなかったので生活する常識もあまり持ち合わせていませんでした。
そこでホームステイできる語学学校に一ヶ月通うことにしました。
一ヶ月の滞在中に仕事と家探しをしようと決めたのは良かったものの、この一ヶ月の授業料とホームステイ代だけで既に40万円かかったのは計算違いでした。(元々何も計算してませんでしたが)
出発の一ヶ月前には準備と称しやってたコンビニのバイトを辞め、友達にはお別れ会と行って毎日友達と遊びに出かけていました。
正直この一ヶ月が毎日楽し過ぎて、実際出発当日になると成田空港の時点で不安とホームシックで一杯になり、ヨーロッパ行きの飛行機に乗った時点で既に日本に帰りたかったです。
ちなみに語学学校はスペイン人ばかりでスペイン語がいつも飛び交っておりまるで異世界に来たかのような気がしたのを覚えています。
最初は順調だったが・・・
実は最初の一ヶ月は順調でした。
イギリスからアイルランド行きの飛行機では隣に座った可愛い女の子とその母親と仲良くなり連絡先を交換したりホームステイ先の家族も良い人たちでした。
ちなみにこの家族は料理をほとんどせず、ほぼ冷凍食品をレンチンだったのを覚えています。
ついた初日に「今夜はラザニアにするけどあなたは好き?」とホストマザーに聞かれ「大好きです!」なんて調子の良い答えをしたら、レンチンのラザニアを出されたのを今でも覚えています。
このアイルランドの冷凍食品が味が全然無くめちゃくちゃ不味くてきつかったです。
3口ぐらいで犬の餌を食べてる気分になり、台所にあった調味料を必死に使って食べてました。
冷凍食品もレパートリーが少なく、五日間でメニューが一周して軽く地獄でした。
この家族のおかげでアイルランドは私の中で一番のメシマズ国家に選ばれたのはこの家族には秘密です。
ホストファミリーの食事はともかく、語学学校に通う一ヶ月の間に移民局の手続き、回転寿司屋のウェイターで仕事ゲット、イタリア人、フランス人、オーストラリア人のすむフラットシェアへの引越しも決まり全てが順調に行ってました。
事態は悪い方へと・・・
新しいフラットへ引越し、ウェイターの仕事をし始めてから事態は悪い方へと転がって行きました。
回転寿司のウェイターの仕事はそこそこ忙しく、私の働き方も悪かったせいで店長と副店長から毎日叱られていました。
日本人は他にも働いており、その人たちとは日本語を使うことも多々あり、内心「アイルランドに来てまで自分は何をしているんだ。」という不満とストレスを貯めていきました。
新しい環境で親しい友達もおらず問題の解決策も分からず、そして何より若過ぎたせいで二ヶ月で仕事を辞めてしまいました。
この時は自分がした決断がどう言う結果になるか自分でも理解できていなかったのです。
実は2007年にアメリカのサブプライムローン問題により起きた不景気の波が、ヨーロッパにも押し寄せて来ていました。
暗い雰囲気の中で
Report reveals towns worst hit by recession and shows poverty rates double that in cities:Irish Examiner
私は経済の事を当時何も理解していませんでしたが、アイルランドはEUに加盟して一番利益をえた国と言われており、このアメリカ発の不況もアイルランドは大打撃を受け始めていたのです。
2008年スペインやイタリア、フランスでは仕事が見つからずアイルランドには常に新しい外国人が仕事を探していました。
ポーランドからも高い賃金を目当てにアイルランドにたくさん来ており、ついにはアイルランド人まで仕事にあぶれるようになっていきました。
私はそんな中他のヨーロッパ人やアイルランド人と一緒に仕事を探すことになりました。
結果は散々でした。
当時のアイルランドの雰囲気は今でも覚えています。
毎日曇り空の天気もあり、街は不景気と暗い雰囲気に沈み、絶望に包まれているかのようでした。
アイルランドの25歳以下の男性失業率の推移:Sean MacEntee
アイルランド、ポーランド、イギリスの失業率の推移:Sean MacEntee
上記のグラフを見るとわかりますが、それまで好調アイルランドの景気は2008年を境に急激に悪化、失業率は10%を超え、若い世代を見ると30%を超えていました。
アイルランドではまだインターネットを通じて応募する方法と店舗に直接履歴書を手渡す方法が主流でした。
私は毎日履歴書のコピーを50枚ほどバッグに入れ、小売店や飲食店、カフェ、ホテル、不動産屋なども周っては配る生活をし、朝は食パン三切れにプライベートブランドのチョコレートソースを食べ、お昼と夕飯を兼ねて1.5キロが100円ほどで買えたポテトに醤油をかけて食べていました。
結局何もろくな成果も出せないまま、ついに飛行機代を残して資金も底をつき、二ヶ月後にはふとしたことがキッカケになりアイルランドを去ることになりました。
私のアイルランドのワーホリはここで終わりを告げたのです。
反省点
今振り返っても辛い経験でしたが、やはり反省点みたいなものはありました。
- 計画性が無かった。
- 最初所持金は100万円程あったが、無計画に資金の半分以上を最初の一ヶ月で使ってしまった。
- ウエイターとはいえ、働いていた経験が浅過ぎて嫌と感じることに耐性が無さ過ぎた。
- 仕事の探し方や英語でのCV(履歴書)の作り方等基本となるところができていなかった。
- 友達の作り方や情報の集め方などなにも知らず、行く前(もっと言えば国を選ぶ時点で)にもっと調べておくべきだった。
- 自分のせいでは無いが、サブプライムローンによる不景気がアイルランドに非常に悪い影響を与え仕事が見つからなくなった。
恐らく一言で表すなら”計画性がなさ過ぎた”に尽きると思います。
そして2点目に来ることは、当時は認めたくありませんでしたが年齢的と言うより、経験的な意味で浅過ぎて若過ぎたことになるでしょう。
例えば、私は昔マクドナルドで働くのが嫌でした。
私が高校生の時16才でも働けるマクドナルドは、アルバイト先の定番でしたが、当時は変な意地があり、働くことはありませんでした。
しかし経験がものを言うヨーロッパでは、マクドナルドはどこにでもあり、日本で働いて入れば履歴書に書くことができヨーロッパのマクドナルドで働けるチャンスはずっと高くなっていたでしょう。
ちなみに私より一ヶ月早くアイルランドに来たスペイン人はマクドナルドで働いていましたが、一週間に650ユーロ稼いでいました。
そして3点目ですが、これは短期的にはどうしようもありませんが海外で仕事に繋がるような、何かに秀でたものがなかったことです。
一芸は身を助けるとはよく言ったもので、和食の板前さんでも、絵やデザインでもストリートパフォーマンスができるようなダンスや楽器の演奏なども海外では時として役に立ちますが、私はそう言ったものを持ち合わせていなかったのです。
ただ一つ言い訳ができるとすれば、自分の能力不足もありますが、それ以上に不景気だったことが全ての環境を変えてしまったと思います。
色々あげるとキリがありませんが、やはり原因みたいなものは上記の点に繋がってくると思います。
ワーホリはチャンスもあればリスクもあります。
ワーホリに求めているものは人それぞれですが、行く国やタイミング、準備や計画などを考えて進めてください。
英語圏でなくても求めているものがあるかもしれませんし、景気の良いところに行くのは判断材料として大変プラスになるでしょう。
みなさんのワーホリを選ぶ参考になれば今回の記事は幸いです。