縁は異なもの味なもの、とはよく言ったもので、些細なきっかけからときとして自分の一生に影響を及ぼすような出来事が発生することもあります。今回は、僕がこのブログを立ち上げるきっかけになった、二人の日本人との数奇な出会いについてまとめていきたいと思います。
井上の雑草魂:エリート日本人とは隔絶された生活
僕はチェコに住んでもう4年になりますが、日本人社会とは少し距離を置いた生活をしていました。
別に日本人が嫌いとかそういうわけではないのですが、まあせっかくヨーロッパにいるのですし、できれば英語や他の言葉を身に着けたいし、異文化を学んでみたいというわけで、現地のコミュニティに積極的に参加する一方、日本人との付き合いはなおざりになっていた感じです。
また、僕は駐在員のようなエリートではありませんし、優秀な日本の大学から交換留学でこっちに来ているわけでも、親の都合で幼少時代を海外で過ごしたような、華々しいバックグラウンドもありません。
たたき上げで、いわば日本から風に飛ばされて欧州に流れ着いた雑草のように、しぶとく住み着いてるわけで、どことなくヨーロッパに住んでいるエリート・日本人のみなさんと交流するのに引け目を感じていたのかも知れません。
さて、そんな僕ですが、コミュニケーションが嫌いというわけではないので、頻繁に旅行先とかで新しい人に声をかけたりするわけです。
そんな私が、ある時スロバキアのホステルで1人の日本人に会いました。
旅は道ずれ世は情け:世界の果てで知り合った変わり者の日本人
どこかの本で読んだことがありますが、人間、やはり似たような経歴のものと仲良くなる傾向があります。
同じ高校、大学、あるいは会社であったりと、似た学歴、環境を経て醸成された性格や価値観は、同族の意識をもたらします。
私が、小洒落たカフェやサロンではなく、ヨーロッパの辺境のぼろホステルで会った日本人と意気投合したのは、ある程度予定調和のようなものだったのかもしれません。
2017年の夏のことでした。大学の試験を終えた僕は、息抜きに近隣諸国への一人旅を計画します、チェコ、スロバキア、ハンガリーから南欧の諸国をめぐり、3週間かけてヨーロッパをバックパック旅行するという、アラサーとは思えないワンパクな旅行計画を立て、意気揚々と一人でプラハを旅立ちました。
スロバキアでは一泊600円くらいの安いホステルに泊まることにしました。部屋は12人部屋、ポーランドの酔っぱらいが夜中いびきをたて、シャワーは水しか出ないというカオスな宿です。
そんな部屋に同室になった中に、一人、日本人とおぼしき男性がいました。
彼こそが、のちに共同でブログを作成することとなるIT担当、リュウヘイ君です。パスポートを机の上にほっぽり出して、昼の14時にも関わらずまだベッドで寝入っているその男を見て、私は正直、「なるべく関わらないようにしておこう」と思いました。
25歳のフリーター、リュウヘイ君との出会い
あとでわかったことですが、リュウヘイ君は、ちょっと日常生活に問題のある男でした。部屋は乱雑、性生活は乱れ、ソーセージを焼くと部屋が火事になる、という、日本の理路整然とした社会にまるで適合できないような感じの男でした。
日本の大学を卒業後、いくつかIT関連の仕事を遍歴したのち、職場での人間関係が問題でどこにも馴染めず、流れ流れてヨーロッパにたどり着いたわけです。
そんな典型的なB型脳のリュウヘイ君と、何事も几帳面なA型脳の僕とでは、はなから馴染みそうにないもので、実際に第一印象も最悪でした。
なにが人間関係のきっかけになるものか分かりません。簡単な挨拶、アイコンタクト、人によってはもっと込み入ったコミュニケーションから、深い人間関係の構築につながっていくこともあります。
我々のきっかけは、一緒に夕飯を食べに行ったことでした。
上述の通り、リュウヘイ君の印象は悪かったですし、なるべく関わらないでおこう、と思いました。ただ、スロバキアに友達がいるわけでもないし、せっかくの旅行中、一人で夕飯を食べに行くのもアレだったので、ベッドで寝っ転がっている日本人とおぼしき男に、怖いもの見たさに声をかけてみました。
井上「あのさ、日本人だよね」
リュウヘイ君「はい」
井上「晩飯でも食いにいかね?」
リュウヘイ君「okay-dokey」
井上「(なんで英語で答えるんだ、ウザっ)」
てなわけで、私は妙な日本人、リュウヘイ君と、その場のノリで夕飯を食べる約束をしてしまいました。
スロバキアで意気投合、妙な日本人二人で中欧を旅する
スロバキアの首都、ブラチスラバは、未だに中世の城郭が残り、中欧情緒が味わえる一方、町の端から端まで、ものの30分も歩くと到着してしまうような、プラハと比べると比較的小ぢんまりとした都市です。
バーやレストランのようなものは大体町の中心に集まり、旅行者に交じって地元の人々がビールを片手に屯っています。
そこで、我々二人は、地元の名物料理を食べながら、今までの人生について語り合いました。
なぜこんなところにいるのか、旅行?それともヨーロッパに定住しているのか?これからどうするつもりなのか
第一印象こそ、僕と正反対な印象でしたが、話を聞いてみると、本質的に僕ら二人は似通った人生を経験してきたようでした。いわば、僕もリュウヘイ君も、日本のFランと呼ばれる大学に行き、社会になじめず、流れ去るようにヨーロッパに出てきたわけです。
そんな中でも、僕らには矜持があります。
日本を離れた以上、ヨーロッパで石にかじりついてでも生き抜いてやる、という思いです。時給300円程度のウェイターのバイトもしましたし、大学の試験と並行して夜中の2時までビザの延長手続きに追われたいたこともあります。
僕たちに、日本に帰る選択肢はありません。ここまで来た以上、あらゆる手段を用いても、なんとかヨーロッパで卒業し、仕事を見つけ、日本では得られなかった人並の人生をつかんでやる、という思いです。
そんな雑草二人の思いは妙な感じで馴染んでしまい、僕たちは結局、夜中の1時までローカルのレストランで語り合いました。
スロバキアのビールの味は格別でした。