こんにちは、タケルです。
前回はドイツについてからすぐに必要な手続き3選について書きました。
今回は少し趣向を変えて、ドイツの歴史について書いていきたいと思います。
ドイツの歴史といえば、皆さん何を思い浮かべますか?東西分断、ドイツ帝国、ハンザ同盟などなど、色々な歴史があると思いますが、今回はその中でもナチスドイツに関する事を取り上げたいと思います。
昨年、ある写真がオークションで売れたことで話題になりました。
その写真とは、ヒトラーがユダヤ人少女と交流を持っていた時に撮られた写真なのです。
そのユダヤ人少女の名前はローザ・ベルニール・ニナウ。
簡単なナチスドイツの歴史と絡めて、お話していければと思います。
ヒトラーが交流したユダヤ人少女とは?
ユダヤ人迫害の流れとナチスドイツの勃興
そもそもユダヤ人迫害の歴史はヨーロッパにおける宗教の歴史ととても関連しています。
キリスト教信者が大多数を占めるヨーロッパ下において、「キリスト教を冒涜する存在」の異教徒として恐れられ、職業の自由を奪われる等、昔から迫害や弾圧の対象になっていました。
そうした背景のもと、ドイツでも第一次世界大戦敗戦後、政界へと進出したヒトラーが自身の著「書我が闘争」で反ユダヤ主義を記しています。
1933年1月にヒトラー内閣が誕生し、同年早々に起きたドイツ国会議事堂放火事件をきっかけにナチスが政敵を拘束する力を付けて急速に独裁力を拡大していきます。
1933年、プロイセンによるエボバの証人の禁止、1935年のニュルンベルク法に制定よるユダヤ人の二流市民化から、1938年「水晶の夜」の発生及び翌日まで続いたユダヤ人に対する暴力と、ユダヤ人の商店をアーリア人に販売する”アーリア化”の促進、1941年のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)開始へと繋がっていきます。
ヒトラーとユダヤ人少女
そんなヒトラーですが、ユダヤ人少女、ローザ・ベルニール・ニナウ(Rosa Bernile Nienau)とあることがきっかけで親密になります。
それは1933年4月20日、ヒトラーの誕生日に6歳のこの少女が他の少女達と一緒に彼の誕生日を祝う為、ヒトラーの別荘があるベーグホーフに向かいました。
そこでヒトラーに誕生日が一緒だということを伝え、ヒトラーはこんなにも幼い子が自分の大切な誕生日の時間を割いて、祝ってくれたということに感動し、二人はそれから交流を持つようになりました。
親子はその後、何度も別荘に呼ばれるなど、十数回にわたり文通などで交流をしました。
(※ローザは合計17通の手紙をヒトラー宛に書いたそうですが、それらは現在ベルリンの連邦公文書館にて見ることが出来るそうです。)
手紙の中ではローザがヒトラーに手編みの靴下を編もうとしていることなど心が温まるやり取りが記されています。(以下参照ください。)
Onkel Hitler stricke ich wieder paar Socken, denn ich frug ihn ob sie ihm letztes Jahr passten. Er hat ja gesagt! Dieses Jahr kann ich schon mit feinerer Wolle stricken, nur die Ferse hilft mir Mutti. Sie werden ganz warm; und wo er doch immer so viel unterwegs ist, soll er doch nicht an den Füßen kalt haben. (Bernile Nienau)
参照元: BR: Das blonde Mädel Bernile Nienau私訳:去年、ヒトラーおじさんに私の作った靴下が彼に合うかどうかを尋ね、合うことを確認しました。なので、もう一度靴下をいくつか編みました。
今年はもっと細かいウールで編む予定ですが、踵の部分はお母さんに助けてもらいます。おじさんはいつも動いているので、足が冷たくならないように暖かい靴下をお届けします。(ベルニール・ニナウ)
しかし、1938年にナチスの秘書リーダーのマーティン・ボーマン(Martin Bormann)により一方的にコンタクトを切られました。
マーティンはローザの祖母がユダヤ教だったことを発見し、ヒトラーにユダヤと接触を持ってほしくないとの思いからの行動でした。
また、ヒトラーの写真家ハインリッヒ・ホフマン(Heinrich Hoffmann)もマーティンに少女の家族がユダヤ教徒と判明した後、この少女とヒトラーの写真を撮ることを禁止されました。
しかし、実際、ヒトラーは既に1933年の時点でローザの母と祖母がユダヤ教徒だということを認識していたのです。
そのことで彼は彼女との連絡を自ら切るわけでもなく、自分から彼女へ二人の写真にメッセージを添えて送りました。
その時の写真が去年競売にかけられていたことで話題になりましたね。
以下がその写真になります。
写真の裏に隠された真実
競売にかけられた当時、世間では「ヒトラーの残虐非道な人物という印象がこの写真で変わった」、「無差別にユダヤ人を殺害していたヒトラーにも人間の心があった」といったような意見もあったようですが、どうやら事実はそんな綺麗で純粋なものではなさそうです。
純粋な少女とその少女に対して見せた独裁者の人間の素顔というようなものではなく、少女はナチス側のイメージ戦略と母親の保身の為に使われたというのが濃厚です。
Hitlers Leibfotograf Heinrich Hoffmann machte ein viel zu gutes Geschäft mit den Bildern, die den Diktator so menschlich und privat mit einem Kinde zeigten. Bernile diente der Publicity.
参照元: BR: Das blonde Mädel Bernile Nienau私訳:ヒトラーの写真家ハインリッヒ・ホフマンは、ローザがユダヤ教徒の家系と判明するまで、独裁者が子供へ個人的な表情を見せた写真を使い、有益なビジネスをしていたのである。
ローザの存在はヒトラーに熱狂的な少女と、その少女と優しく交流を持つ総統というイメージを与えるのにとても有益でした。
1934年、ローザの写真は、Jugend umHitlerという本で初めて出版され、1937年にはアメリカの雑誌Lifeに写真が掲載されました
※ハインリッヒが作ったヒトラーとローザの写真が入った写真集と少女達とヒトラーが描かれたポストカードは大量に売られており、現在もそのコピーがあるそうです。
Berniles Mutter wiederum nutzte die Sonderstellung der Tochter für ihren Kampf um eine Witwenrente. Erst 1938 stoppte der Chef der Führerkanzlei den für alle Seiten gewinnträchtigen Kontakt.
参照元: BR: Das blonde Mädel Bernile Nienau私訳:また、ローザの母親もこうした娘の特別な立場を利用して、未亡人の年金(自身も未亡人)を受給出来るようにナチス党に掛け合っていた。マーティン・ボーマンによりお互いの交流が断絶する1938年までこのお互いにとって有益な関係は続いていたのである。
ヒトラーに送った手紙もどうやら母親の手直しが入っていたようで、母親が娘を使ってヒトラーに取り入り、ナチス側もそれを利用させてもらったというのが本筋のようです。
Heinrich Hoffmann ran his personal Nazi media company, ‘Heinrich Hoffmann. Verlag national-sozialistischer Bilder’ (Publishing house for national socialist images), which employed 300 workers. He became NSDAP-member in 1920, and he had many privileges. He was Hitler’s personal art advisor. Hitler gave him the ‘Professor’ title in 1938.
参照元:DROOG MAGAZINE: The Bernile Photos Hitler’s ‘little friend’ Rosa Bernile Nienau私訳:ハインリヒ・ホフマンは300人の労働者を雇用したVerlagnational-sozialistischerBilder’(国家社会主義画像の出版社)というナチメディア会社を経営していた。彼は1920年にNSDAPのメンバーになり、多くの特権を持っていたのである。また彼はヒトラーの個人的な芸術顧問であり、ヒトラーから1938年に「教授」の称号を与えられていた。
最後に
1938年の「水晶の夜」以降、ナチスのユダヤ人に対する弾圧は酷さを増していきますが、丁度この少女(ローザ・ベルニール ニナウ)とヒトラーの交流が断絶した時期も同じ年です。
結局ローザはその後ヒトラーに一度も会うことなく、1943年ポリオ(急性灰白髄炎)により17歳という若さで亡くなりました。
ヒトラーに対して何を思ってローザはその後の人生を生きたのか、想像するだけでもとても複雑な気持ちになりますね。
本日はこの辺で終わりたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。