ポーランド旅行記2:ドイツ騎士団のお膝元オルシュティン

ドイツの大学院での卒論を書くために、ワルシャワの提携大学までデータを取りに行くことになり、折角なのでいろいろなポーランドの都市を周遊してきました。

今回は、ポツナンからオルシュティンへ向かいます。

ポツナンからオルシュティンへ

オルシュティンは東ポーランドにある人口20万人規模の都市で、中世にドイツ騎士団によって町が建設され、長らくドイツ文化の影響を受けてきたことから、お城や建物などもどことなくドイツ的な雰囲気を漂わせています。

設立以降、ドイツとポーランドの手を行ったり来たりした同都市で、ナポレオン戦争前夜の1772年に、ポーランド分割によってプロシアの支配下に置かれ、第一次世界大戦後はドイツが負けたことにより東プロシアの飛び地となり、ポーランド回廊と第二次世界大戦の火種となりました。

観光的にそこまで面白いかどうかは分かりませんが、避暑地として有名なところらしいので、ポツナンからワルシャワに向かう道程で寄り道してみることにしました。

ポツナンからオルシュティンまでは電車で片道4時間ちょっとです。駅の切符売り場では英語が通じないので、携帯電話であらかじめ買いたい切符のスクリーンショットをとっておき、それを見せる形にしました。

ドイツ国内のICEとは異なり、ここでの列車はあまり質の良いものではありません。二等車が満席だったので一等車を買いましたが、高かった割にはすし詰めのコンパートメントに座らされる形です。Wi-Fiもコンセントもありません。ただ、列車から見える風景が次第に田舎になっていくので飽きませんでした。

オルシュティン駅に到着です。道はぼこぼこで水たまりができ、ポツナンに比べて東ヨーロッパっぽい印象を醸しています。

町中の散策

散歩をすると2時間くらいで一通りの見どころを見て回ることができました。大都市でもないですし、有名な観光名所でもありませんので、そこまで多くの人でごった返しているわけでもなく、歩いていて気持ち良いです。

町中には湖がいくつかあり、夏にも関わらず風の涼しい、避暑にはもってこいの町です。

文化的には、かの有名な天文学者のコペルニクスが5年程度滞在した都市として有名なようです。あとは、ロシアとの決戦に備えたナポレオンが寄り道をした際の記念碑などが残されています。

市内にはお城や教会があり、これらは中世に、ドイツ騎士団によって建てられたもののようです。ポーランドは多くの都市でドイツの影響が強く、ドイツ語の話せるポーランド人も少なくありません。

中堅都市ならではの、観光地ずれしていない感じが心地よい都市でした。旅行するには物足りないかも知れませんが、大都市で暮らしていて食傷気味になっていたりしたら、少し足を延ばして立ち寄ってみて、湖を散歩してみたら面白いと思います。